今年も、神内神社の奇樹たちに会いに来た。セッコクの咲く香りに誘われて。


鳥居のすぐそばで参拝者を迎える、ホルトノキの御神木。
三重県指定天然記念物でもあるこの大樹は、子どもを抱くように石を巻き込んで自生している。
その慈愛に満ちた姿から、古くより「安産樹」として親しまれてきた。


見上げれば、白く可憐なセッコクが咲き誇る。
苔むした木肌と、生命力あふれるセッコクの白のコントラスト。
熊野の湿潤な気候が生み出すこの神秘的な光景は、何度レンズを向けても、飽き足らない。



深く静かな空気が流れる参道を歩む。
ここは「安産・子授け」の神域。
清らかな水が流れる御手洗場で、心身を整えてから先へ進む。


拝殿が見えてきた。
左右を巨岩に挟まれた参道は、まるで異界への入り口のような迫力に満ちている。
別名「子安神社」とも呼ばれるこの場所には、無数の「よだれかけ」が奉納されていた。
新しい命を願う、人々の切実な祈りがここに集積している。


拝殿の背後にそびえる、圧倒的な存在感の磐座(いわくら)。
社殿を持たず、この巨大な岩そのものを御神体とする古代の祭祀形態が、今もここには息づいている。
あまりの巨大さに、単焦点レンズではその全貌を容易には捉えきれない。



拝殿の傍らに立つ、クスノキの大樹。
正直に言えば、自分はこのクスノキに会うために、ここへ来ているのかもしれない。
荒々しい樹皮の質感、大地を掴む根のライン。
それは、幾星霜もの時をかけて作り上げられた、究極の肉体美だ。
撮影者と被写体としての“セッション”を終え、最後の一枚を焼き付ける。
「また、セッコクの咲く頃に。」

少し離れた場所から、御神体である磐座の全貌を望む。
その荒々しいシルエットは、まるでゴジラのようだ。

帰り際、境内のすべての巨木に静かに手を合わせる、高齢の女性を見かけた。
熊野の地では、木々や石に神を見出すのは、ごく当たり前の日常なのだ。
神内神社(こうのうちじんじゃ)は、三重県紀宝町神内に鎮座する神社だ。 新宮市街地から車で15分ほど、熊野川を渡った紀宝町の山裾に位置している。 社殿を持たず、背後にそびえる巨大な岩壁そのものを御神体とする、熊野の原始的な信仰の姿を今に伝えている。
別名「子安の宮」とも呼ばれ、古くから安産や授かりものの神として信仰されてきた。 三重県指定天然記念物でもある境内の樹叢(じゅそう)には、巨木や着生植物が息づき、 岩壁と深い森が混ざり合う、この土地特有の静謐な空気が保たれている。
本作は、和歌山・三重にまたがる熊野地方を拠点にするフィルム写真家 kumanokodonet によって撮影された。 即時的な消費を目的とするのではなく、熊野の風景や人々と向き合い、対話を重ねるような制作を続けている。
現在、こうした熊野の風景の中で、共に新しい表現を模索できるモデルや表現者を募っている。 詳細は「モデル募集」のページを参照してほしい。


