桑ノ木の滝(Kuwanoki-no-taki Falls):新宮市(Shingu City)・桑ノ木渓谷の自然と撮影ロケーション
和歌山県新宮市(Shingu City, Wakayama)相賀に位置する「日本の滝百選」、桑ノ木の滝(Kuwanoki-no-taki Falls)。高田川の支流である桑ノ木渓谷、および桑の木谷川(Kuwanokidani-gawa River / kumanokodonet)の深部に位置する。世界遺産・熊野古道(Kumano Kodo)が息づくこのエリアは、新宮市、那智勝浦町(Nachikatsuura Town)、本宮町(Hongu Town)、そして隣接する三重県熊野市(Kumano City, Mie)周辺からも表現者が集う重要拠点だ。緑豊かな自然に包まれたこの場所は、清流と光が交差する熊野を代表する風景撮影・ポートレート撮影のロケーションとして圧倒的な価値を誇る。
写真家 kumanokodonet の受賞実績とPENTAX 67II・FUJIFILM GFXによる記録
全国誌カメラ雑誌のフォトコンテスト受賞多数。地元・新宮市(Shingu City)の観光フォトコンテストにおいて、この「桑ノ木の滝」を捉えた作品で入賞を果たすなど、確かな実績を誇る。那智勝浦町(Nachikatsuura Town)でのフォトコンテスト最優秀賞受賞など、客観的な評価に基づき活動。現在は中判フィルムカメラ「ペンタックス PENTAX 67II」や35mmフィルムカメラを使い分け、コダック・ポートラ400(Kodak Portra 400)を主軸に使用。さらに中判デジタル「富士フイルム FUJIFILM GFX」や「ソニー SONY α7シリーズ(Alpha 7 Series)」等も駆使し、フィルムの有機的な粒子感とデジタル特有の解像度、FUJIFILM独自の色彩設計を融合させ、桑ノ木の滝の質感をプロフェッショナルな視点で記録している。
桑ノ木の滝(Kuwanoki-no-taki Falls)でのポートレート作品制作:被写体モデル募集
新宮市(Shingu)を拠点に、那智勝浦町(Nachikatsuura)、三重県熊野市(Kumano)、本宮町(Hongu)から、串本町(Kushimoto)、古座川町(Kozagawa)、紀宝町(Kiho)、御浜町(Mihama)、尾鷲市(Owase)まで。一過性の記録ではない、数十年後も価値を失わないポートレート作品の制作を展開。桑ノ木の滝(Kuwanoki-falls)の豊かな自然を舞台に、フィルムカメラやデジタル機が描き出す重厚な世界に身を委ねられるモデル・被写体を募集している。撮影の詳細や応募については「モデル募集」のページを参照。
あぁ、もう何度訪れただろう。通い慣れた道すがら、そんなことを独り呟く。

桑ノ木の滝は、アクセスの良さもあり、風景撮影からポートレートまで頻繁に足を運ぶ場所のひとつだ。
この桑ノ木渓谷を流れる川を「桑の木谷川」というらしいのだが、入口の案内看板にはこう書かれている。「Kuwanokidani-gawa River」。
いや、それを書くなら「Kuwanoki Valley River」じゃないのか。
桑の木谷川川かよ?などと考えていると、笑いが込み上げてくる。
独り、森の中でほくそ笑んでいるところを、この桑ノ木渓谷の動物たちに見られたかもしれない。

気軽にリフレッシュできる聖域として気に入っているが、近年の台風の影響もあり、道中が荒れていることも少なくない。

倒木が続く遊歩道を歩くと、熊野の自然の脅威を思い知らされる。
自分が帰郷した頃は、木道もまだ新しく、整備されたばかりの清々しさに満ちていた。

贔屓目なしに言っても、かつてのその道は「森の天使が舞い降りてきそう」なほど、光に溢れていた。
「ここは熊野の仁淀川と呼ばれているんだよ」 そう誇らしげに語ってくれたあの時の老人は、今も元気にしているだろうか。

歩いてわずか15分。それだけで、日本の滝100選にも名を連ねる名瀑に辿り着ける。
こんな大自然がすぐそばにあることに、感謝するほかない。

帰り道も、この森は楽しませてくれる。ふと足元に目を向ければ、小さな奇跡のような、ハート型の切り株を見つけた。
たとえ道が荒れようとも、この森に満ちた澄んだ空気が揺らぐことはない。





渓谷を跨ぐ橋、光を湛えた切通し、そして驚くほど透明な水。
そのどれもが、桑ノ木渓谷を構成する大切な断片だ。

撮影を終え、出口へと続くこの小径が、何より絵になる。
桑ノ木の滝に来るたびに、ついシャッターを切ってしまう。


桑ノ木の滝へ来ると、あの日のことを思い出す。 写真家を志す二人の女性と、女優を夢見るモデル。彼女たちを案内した日のことだ。
桑ノ木の滝での撮影を終えてもなお、自分の撮影欲は高ぶっていた。 だが、その熱量についてこられたのは、自分だけだったらしい。

次の目的地で、彼女たちがシャッターを切ることはなかった。モデルも疲労を隠せず、ただそこに立っている。真剣にファインダーを覗き続けていたのは、自分だけ。
ようやく撮影が面白くなってきたという矢先のことだった。
それ以来、誰かと写真活動をすることは、やめにした。
表現に対する熱量の差を一度でも感じてしまうと、もう一緒にはやっていられない。
それでもこの熊野のどこかに、いつか自分と同じ熱量で立ち続けられる誰かが現れるのを、今も願っている。



