神内神社

神内神社の拝殿左に立つ「蘇りの木」 紀宝町

三重県紀宝町神内にある「神内神社 (こうのうちじんじゃ) 」。
別名を「子安の宮」とも称し、社殿を持たず巨大な磐座を直接拝む古い祭祀形態を伝える。

神内神社の基本情報 (アクセス・参拝データ)

所在地
三重県南牟婁郡紀宝町神内958
御祭神
天照皇大神、天忍穂耳命、彦火瓊々杵尊、彦火火出見尊、鸕鶿草葺不合尊
例祭日
11月23日 (例大祭)
アクセス
【車】「新宮駅」より車で約10分。
【電車】JR紀伊井田駅より徒歩約20分。
駐車場
あり (無料、鳥居付近に約20台分)
鳥居前に整備された砂利敷きの参拝者用駐車場
ストリートビューで周辺を確認する
参拝時間
自由
備考
境内一帯は「神内神社樹叢」として三重県指定天然記念物に指定されている。
問い合わせ先
0735-33-0334 (紀宝町役場 企画調整課 観光係)

神内神社へのアクセス

県道141号沿いに設置された子安の宮(神内神社)誘導看板

県道141号を走行すると「子安の宮」の案内看板がある。ここを右折する。

神内神社への最終分岐点に立つ案内看板と左折指示

続いてある分岐の看板を左折し、約200m進むと鳥居前の砂利敷き駐車場に到着する。

鳥居前に整備された砂利敷きの参拝者用駐車場
鳥居の前に広がる参拝者専用の駐車場。

入口付近の巨石と境内案内板

入口に鎮座する巨石と案内板

神内神社の駐車場の傍らにある巨石は、形状から神内神社の南約100mにある「古神殿」の入口左側にある巨石と対をなしている。

神内神社(子安の宮)

(神内名所の子安の宮は可愛い産子の守り神)

引用:神内神社 案内板
「神内神社樹叢」と由緒を記した大型案内板

鳥居脇には「神内神社樹叢」と由緒を記した案内板、および境内社「佐倉宗吾宮」の案内板が設置されている。
神内神社は、安産や子授けの信仰を集める地として知られている。

三重県指定天然記念物 昭和十六年十二月二日指定
神内神社樹叢(こうのうちじんじゃじゅそう)
所在地 紀宝町神内字近石九五八番地

神内神社は、石英粗面岩(熊野酸性岩)の岸壁をご神体として祭った原始宗教の名残りのもので、多数の水蝕洞穴があり岩面には着生植物が多い。神社の境内には着生植物、シダ植物を含めて約三〇〇種の植物が繁茂している。
この森すべての植物を保護することは言うまでもないが特に保護保存に心がけねばならないものをあげれば、木本類ではクスノキ(巨木)、ホルトノキ、イヌマキ、ミサオノキ、ヤマモガシ、アラカシ、タカオ、カエデ、ヤマビワ、イスノキ、オガタマノキ、カンザブロウノキ、イヌガシ、ナギ、モッコク、シダ植物では、キクシノブ、ナンカクラン、タカノハワラボシ等は珍しく貴重なものである。

神内神社(こうのうちじんじゃ)(子安神社(こやすじんじゃ))
所在地 紀宝町神内字近石九五八番地
祭 神 天照大神(あまてらすおおかみ)
天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
創 立 「明細帳」に不詳とあり、棟札には天保七年二月再建とある。

由 緒 「明細帳」に「当社の義は近石と申すところに逢初森(アイソメモり)というのがあり、そこに伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊弉冉尊(イザナミノミコト)天降らせ 一女三男を生み給う、この神を産土神社(ウブスナジンジャ)と崇め奉る、よってこの村の名を神皇地(コウノチ)と称す。いつの頃よりか神内村(コウノウチムラ)と改むと言い伝う」とあり。明治三十九年十二月二十五日、三重県告示第三八〇号を以って神饌幣帛料供進社に指定される。社殿は自然成岩窟にして空間六尺(約一.八メートル)四方あり、境内六反八畝一〇歩。近郷の人、子安の神、安産の神として参詣するもの多い。また豊漁の神として近隣の漁師の信仰厚い。

(紀宝町発行「文化財を訪ねて」抜粋)(神内神社所蔵文書抜粋)
紀宝町教育委員会

引用:神内神社 入口 案内板
境内社「佐倉宗吾宮」の由緒を記した大型案内板

佐倉宗吾宮

鳥居を潜って十六メートルすすんだ右手山側に、大きな岩窟(拾石窟)があり、神武天皇や明治天皇をお祀りし、その脇の岩屋に佐倉宗吾宮がある。
何時の頃どういう理由でここに祀られたかについての記録はないが、おそらく徳川時代初期の重税に苦しめられた農民を救うために、自分だけではなく家族も極刑になることを覚悟の上で直訴におよんだ宗五郎を神として敬い、大飢饉による餓えと年貢の取り立てに苦しめられるなかで、重税の軽減を願って、嘉永年間に祀られたものと思われる。
徳川時代後期の神内村は、見えて千石隠れて千石と云われる豊かな郷であった
天明(一七八三頃)の冷害による大飢饉、更に天保(一八三三頃)の大飢饉が、ここ紀州地方をも襲い、食べ物を求めて来て、行き倒れとなった人々が見られたという。
佐倉宗五郎については、いろいろな異説もあるが、江戸時代初期の承応二年(一六五三)徳川四代将軍家綱が寛永寺参詣の折り行列に、堀田正信苛政の訴状を差し出した。その結果、加重年貢は免除されたが、佐倉藩主堀田正信の激怒にふれ、宗五郎と妻は磔獄門、四人の子供は打ち首となる。
領主堀田正盛の時代はそれ程でもなかったが、息子正信が領主になるや、軍備拡張に異常なまでの意欲をもやし、急に苛斂誅求(人民から税金その他を厳しく取り立てる)に転じた。その重税に苦しむ村が二〇〇ヶ村、他領に逃げ出す者一七〇〇人に及んだという。
下総国(千葉県)佐倉藩印旛郡公津台方村の名主佐倉宗五郎は、この村々の総代として、義のために奮起し単身直訴に及んだ義人である。
神内神社の元宮司阪本源十郎氏宅に、佐倉藩印旛郡 鳴鐘山・東勝寺製作の、宗五郎霊像の古い掛け軸が残されている。東勝寺に依頼しての調べで、寛永年間に製作されたことが判明した。
宗五郎は 嘉永年間(一八五一頃)に義人として歌舞伎に登場するや、一躍全国にしられるようになった。
江戸後期には百姓一揆に宗五郎の義が重んじられ、明治時代には自由民権運動の先駆者として登場し、宗五郎義民伝として定着した。
更に、昭和の時代は金銭恐慌、そして戦争と敗戦を経験しつつも、宗五郎物語は新たな解釈を伴いながらつづいてきた。
二十一世紀に入ったこんにち、義人宗五郎は平成の農業政策をみて、我々に何をかたりかけているだろうか。

平成二十一年十一月吉日
紀宝町教育委員会

引用:神内神社 入口 佐倉宗吾宮 案内板
神内神社の石造鳥居

2026年1月の改修により、石造鳥居は石肌が見える状態まで磨き上げられている。

安産樹(御神木のホルトノキ)

御神木「安産樹」(ホルトノキ)

鳥居の傍らに立つのは、三重県指定天然記念物の御神木、ホルトノキ。
この大樹は成長の過程で足元の自然石を巻き込んでおり、その姿から「安産樹」として親しまれている。

「安産樹」の墨書き看板と案内板

ホルトノキ、樹齢七百余年、鎌倉時代から幾代にわたり、氏子が受け継いで来た大切な樹で大きな自然石を抱ている安産の神の樹として崇められている
(郷土資料群より抜粋)令和八年一月 田尾和生

引用:安産樹 案内板
神内神社の御神木「安産樹」の根元に腰掛け、まっすぐカメラを見つめる女性のポートレート
神内神社の安産樹の樹上に群生するセッコクの花

5月にはこのホルトノキの樹上にセッコクの花が群生する。

ホルトノキに着生するセッコク
参道入口付近に設置された「天然記念物保護」を告示する毛筆書きの木製掲示板

境内は植物採取が禁止されている。

告示
神内神社宮司
此処、神内神社の境内は 三重県指定の
天然記念物となっています
樹木・シダ類及びセッコク・カンラン等の
採取を堅く禁じます
カンラン寄贈者
川原田豊 竹内行雄

引用:境内 掲示板

岩窟内の三つの諸社

境内右側に位置する神武天皇御社の石碑

参道を進んで右手には、岩窟に並ぶ三つの諸社がある。
2012年には宗教人類学者の植島啓司氏による「日本の聖地ベスト100」の10位に選出されたほか、2010年にはテレビ番組の収録でビートたけし氏がこの地を訪れ、全国放映された。

神武・明治天皇御社および佐倉宗吾宮の誘導看板

2026年1月の改修により、各御社の本殿や案内看板、石碑が刷新された。

岩窟へと続く参道の階段修理を記念して建立された石碑

参道修理
平成十五年十月
阪本正文
竹鼻三代治
竹内行雄

引用:参道修理 石碑
岩窟内に並んで鎮座する各御社と周辺の岩壁環境

岩窟内には、神武天皇、明治天皇、義民・佐倉宗吾を祀る三つの御社が並ぶ。

神武天皇御社

岩窟奥部に祀られた神武天皇御社の本殿
神武天皇御社に設置された「神武天皇の東征」を解説する案内板

神武天皇
神武天皇は、九州日向(ひむか)で生まれ、国の中心大和を目指して東征(とうせい)する。
生駒越えを試みたもののナガスネヒコに阻まれ、兄を失う
日神の子孫らしく日を背にして戦おうと熊野、吉野へ迂回し
宇陀、磯城での戦いに勝って国中に入り、葛城、添等も平定して橿原宮で初代天皇として即位する

神内神社では、この宮の入り口に神武天皇の石碑を建て初代天皇としてお祀りしている

(県民だより奈良より抜粋)

引用:神武天皇御社 案内板
神武天皇御社に設置された主な祈願内容を記した木枠の案内板

神武天皇御宮の主な祈願

一、安産祈願、交通安全
二、厄除祈願、長寿祈願
三、国家安秦、五穀豊穣、他

神武天皇が初代天皇として即位した橿原神宮の御利益と同じです

引用:神武天皇御社 案内板

明治天皇御霊

明治天皇御霊を祀る岩窟内の祭壇と木製社殿
明治天皇御霊に設置された明治天皇の御事績と国民への想いを解説する案内板

明治天皇
1867年十六歳で、第122代天皇となる。翌年、五箇条の御誓文を出し、新しい国造りの基本方針を定める
1889年、大日本帝国憲法を発令し、近代国家の基礎を作る

天皇の思想として強かったのが国を治めるには、まず臣民の気持ちを第一に考えなければいけないということ。そのため明治前期においては、地方行幸を頻繁に行うなど、臣民の生活を常に気にかけていました

このような天皇を当時の神内の臣民が尊び、御霊(みたま)として御祀りしています

引用:明治天皇御霊 案内板
明治天皇御霊に設置された主な祈願内容を記した案内板

明治天皇御霊宮の御祈願

一、縁結、夫婦円満、家内安全
二、合格祈願、必勝祈願
三、商売繁盛、厄除け、開運

明治神宮と同じご神体のお宮祈願事項もほぼ同じものです

引用:明治天皇御霊 案内板

佐倉宗吾宮

佐倉宗吾宮の名称が刻まれた石碑
佐倉宗吾宮の石碑裏面に刻まれた奉納者名と年齢の記録

佐倉宗吾宮

昭和十五年十一月十日建

紀元二千六百年記念

奉獻
地當
森岡まさ五十才
更谷まさの四十七才
岩本あさ四十三才
阪本はつ三十二才

引用:佐倉宗吾宮 石碑
岩窟内部に鎮座する佐倉宗吾宮の社殿
佐倉宗吾宮横に設置された由緒と入口掲示板への誘導を記した案内板

佐倉宗吾宮
佐倉宗吾宮につきましては、当神社鳥居前の掲示板にて、紀宝町教育委員会より、詳しい説明がなされています
ぜひ御一読ください

下総国(千葉県)佐倉藩印旛郡公津村の名主
佐倉宗五郎は民のために奮起して単身直訴に及んだ義人としてお祀りしています

(抜粋)神社総代

引用:佐倉宗吾宮 案内板

神内神社の参道と夫婦杉

参道に並び立つ杉の巨木

深い樹叢に包まれた参道には杉の巨木が並び、右手には寄進石柱が配置されている。

樹叢に包まれた参道の風景
参道右側に並び立つ、寄進石柱
参道に設置された、寄進金額「一金一萬五千圓」と日付、人名が刻まれた石柱

一金一萬五千圓
昭和四十六年六月十七日
當地氏子
荘司半三郎

引用:参道 寄進石柱
参道左側にそびえ立つ、絆を象徴する二本の大杉「夫婦杉」

参道の左手には「夫婦杉」が立つ。

参道の傍らで根元が一体化した夫婦杉と、そこに掲げられた木製看板
国指定天然記念物「神内神社樹叢」を示す石碑
「天然記念物 神内神社樹叢」の石碑
参道傍を流れる神内川

参道の側方を流れる神内川には、水辺へと続く石段が整備されている。

巨大な岩窟を背に鎮座する手水舎(てみずや)と、傍らに立つ狛犬および奉献銘板の全景

参道突き当たり右手には、巨大な岩壁を背にした手水舎が設置されている。

手水舎に設置された龍の口
手水舎の龍の口、拝殿への階段手摺りの奉献記録が刻まれた奉献銘板

奉献
一、龍の口
一、手摺り

竹鼻三代治
阪本正文
竹内行雄
田尾順司
前田正
下沢深
川原田保

平成十六年十一月吉日

引用:手水舎 石碑
拝殿下の左側の狛犬

現在、拝殿下に据えられている狛犬。かつては古神殿に安置されていたとされる。

拝殿下の石造りの狛犬
拝殿下の狛犬横に建立された「五穀豊穣・氏子の幸福・交通安全」を祈願する石碑
拝殿下に建立された石碑

祈願
五穀豊穣
氏子の幸福
交通安全

昭和五十二年 十二月 吉日

当地氏子 田中三代太郎 建立

引用:拝殿下 石碑
拝殿下に並ぶ寄進石柱の全景
拝殿下に並ぶ寄進石柱

拝殿と奉納されたよだれかけ

神内神社の拝殿

岩壁の狭間にある石段の上に拝殿が見える。

石段の足元注意を促す新設の案内板

2026年1月、石段の登り口に案内板が新設された。

御注意
この階段は途中に踊り場がなく、長いため昇降時は細心の注意をお願いいたします、階段自体は比較的やわらかい石で出来ていて、滑りにくい構造ですが、小さなお子様やご高齢の方は、踏み外しやつまずきに十分注意して、手摺りを利用してください
今後も清掃等事故防止に努めてまいりますのでよろしくお願いいたします

引用:階段登り口 案内板
拝殿に奉納された無数のよだれかけ

拝殿の壁面には、安産を願う人々が奉納した無数の「よだれかけ (スタイ) 」が掛けられている。

自然の岩窟を拝む拝殿
拝殿内に掲げられたお神札(額)。天照皇大神など五柱の祭神名

拝殿内には五柱の祭神の名を記したお神札が掲げられている。

神祭
天照皇大神
天忍穂耳尊
彦火瓊々杵尊
彦火火出見尊
鸕鶿草葺不合尊

引用:拝殿内のお神札
殿舎内部に奉納された千羽鶴と神棚

左側の殿舎内部には神棚や参拝者用の記帳台、安産祈願の授与品が整えられている。

殿舎内に設けられた参拝者用記帳台と受付
殿舎内で授与される安産祈願の腹帯や神札
拝殿横に設置された神社の起源と由緒に関する掲示資料
拝殿前に奉納された祈願文入りの献石群

御神体の磐座と蘇りの木

神内神社の御神体の磐座

拝殿の背後には、本殿の代わりとなる巨大な磐座がある。
この岩そのものが御神体であり、高さは約100mとされる。

周囲の樹木が一体化した御神体
御神体の磐座の全景
神内神社の拝殿左に立つ「蘇りの木」

拝殿の左側には、「蘇りの木」と呼ばれるクスの大樹が立っている。

「蘇りの木」の木製看板
蘇りの木の根と苔
蘇りの木の樹皮の凹凸
蘇りの木の幹の空洞を正面から望む

幹の根元には大人が一人通り抜けられる空洞があり、ここを通り抜ける参拝の習わしが伝えられている。

蘇りの木の幹の空洞

表忠碑

駐車場エリアに建立された戦没者慰霊の表忠碑

駐車場エリアには、日露戦争等の戦没者を祀る表忠碑が建てられている。

表忠碑背面の拝観を促す案内板

表忠碑

明治時代の日露戦争の戦没者や戦争従軍者を表記しています。設置時の文献がありませんので詳しい事はわかりませんが、従来より神内にお住まいの方なら、なじみのある名前があると思います、貴方のご先祖かも。ぜひ一度裏面を御覧ください。

神社総代

引用:表忠碑 案内板
日露戦争等の戦没者名が刻銘された表忠碑の背面
裏面。

案内板に従い裏面へ回ると、郷土の戦没者の名が刻まれている。

神内神社の周辺地図・駐車場

駐車場
あり (無料、鳥居付近に約20台分)
鳥居前に整備された砂利敷きの参拝者用駐車場
ストリートビューで周辺を確認する
KVAのメインビジュアル

Kumano Visual Archive

神内神社でのポートレート撮影。銀塩フィルムのKodak PORTRA 400を用い、撮影をおこなった。

神内神社から南へ約100mに位置する古神殿
奈良時代以前の神殿と伝わり、かつては現在の神内神社の「本宮」としての役割を担っていたとされる。

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