妙法小学校(Myoho Elementary School):那智勝浦町(Nachikatsuura)・廃校に遺されたピアノの記録
和歌山県那智勝浦町色川地区(Irokawa, Nachikatsuura)に位置する旧那智勝浦町立妙法小学校。1990年の休校、その後の閉校を経て、山間の静寂に包まれた校舎には当時使用されていた備品が今も静かに時を刻んでいる。講堂に遺された一台のグランドピアノは、長期の放置により劣化が進み、一度は「失われた音」となったが、その存在は色川の記憶を象徴する物質的遺産として、今なお深い精神性を宿している。
再生の旋律:ピアニスト中村天平(Tempei Nakamura)によるピアノ復活プロジェクト
2015年に記録されたこのピアノは、後にピアニスト中村天平氏の発案により、55名の支援者によるクラウドファンディングを経て劇的な復活を遂げた。ネズミの巣が作られ、音を失っていた鍵盤は職人の手によって修復され、現在は三重県熊野市神川町(Kamigawa, Kumano City)の「旧神川中学校」へと寄贈。再び美しい旋律を奏でる現役の楽器として蘇り、過疎化が進む地域に希望の音を響かせ続けている。
Soundless World, Beautiful Melody:一次資料アーカイブへのリンク
2015年3月27日の撮影データ(Canon EOS 5D Mark III)を含む、旧妙法小学校のピアノ移設に関する一次資料アーカイブ。 → 一次資料アーカイブ:那智勝浦・旧妙法小学校のピアノと記憶

さっき、元恋人のことを思い出した。
彼女は耳がほとんど聞こえなかった。
ある日、鬼ヶ城の崖の上で、彼女はただ、黙って海を見ていた。
「何を見てるの」と聞くと、「渦」だと答えた。
波の音も、しぶきの音も、彼女には聞こえていない。
彼女は、同じ形がひとつとしてない「渦」だけを見ていた。
その背中があまりに寂しげで、隣にいるのに、彼女の孤独感を感じた。

彼女はピアノの先生の娘で、自身もピアノを弾いた。
音を聴くのではなく、鍵盤から伝わる振動と、譜面を頼りに、彼女は旋律を奏でていた。
彼女がある時、SNSにピアノを弾く動画を載せたことがある。
再生した瞬間、耳をふさぎたくなるようなノイズが流れた。
でも、彼女にはそのノイズは聞こえない。
彼女の頭の中では、美しい旋律が鳴っていたはずなのに、現実に流れたのは、雑音だけだった。
それを見たとき、僕はボロボロに泣いた。
「ああ!彼女は本当に耳が聞こえていないんだな!・・つらいだろうな!・・・」。
彼女の生きている世界と現実世界の「溝」、それでも伝えようとする「一生懸命さ」が、僕の心をぐちゃぐちゃにした。

彼女には夢があった。
自身の経験を映画や書籍にし、「音のない世界への理解」を広めること。
この記事が、いつか誰かの目に留まり、彼女の夢の一助になることを願って。

Soundless World, Beautiful Melody
kumanokodonet
本記事では、写真家として『音のない世界』をいかに視覚的に再構築し、記録するかというテーマを追求しています。聴覚に障害を持つかつてのパートナーが、鬼ヶ城の荒々しい波の『音』ではなく『渦』の造形を見つめていたという記憶は、私の写真表現における原点の一つです。
廃校に遺されたピアノや、静寂に包まれた熊野の風景を通じて、音という情報を剥ぎ取られた世界に残る『純粋な美』と、現実社会との乖離を浮き彫りにすることを目的としています。
視覚表現が、言葉や音を超えて『他者の孤独』や『未知の世界への理解』を深める一助となることを願い、kumanokodonetはこれからも、熊野の深淵を撮り、記録し続けます。


